第47話   釣師と釣士   平成15年10月13日  

釣師と釣士の違いが分かる人はまず居ない。はっきり云って自分でもはっきりとは分からない。

師と士の違いであるが、事典を見ると師は学問や芸能等を教える先生、僧侶や神父等の宗教上の指導者それから中国古代の軍制の単位とある。接尾語として用いる時は技術、技芸を現わす語につけて専門職であることを表現する。

士は武士を表現したが、一般に男子を現わし、特に学問、道徳を修めた男子の事を云うとあり、接尾語として用いる時は有資格者を表現すると云う。

ニュアンスから受ける印象は、釣士はカッコいい武士(もののふ)の釣りを思い浮かべるし、又名士の釣の感を受ける。一方釣師は薄汚れた手ぬぐいを首に巻き、汚れた服にわらじを履いた田舎の親父の釣りを連想する。江戸時代や明治期の本を見ると釣り人を釣士とされた本が多いが、大正期以降はなぜか釣師が多くなるようだ。

それでも釣師というと何か郷愁を感ずるのは自分だけであろうか?実務を引退した老人の釣りを数多く見て来たからなのか?とにかく自分にとってき釣士よりも釣師なのである。意味はどちらも同じような物ではあるが士と表現した時はなにか堅物の釣りの感を受けてしまう。

最近の釣師とは釣りをする人くらいの意味にしか取られていないが、自分にとっての釣師とはいくら汚れた格好をしていても釣りの師匠であり、尊敬できる者を意味しているのである。当地の言葉で云えば玄人(くろうと=釣りの上手な人)の上に位置する言葉であって最大の誉め言葉であり決して蔑んだり、オチョクル様な悪い意味ではない。だから、昨今の釣りを見て居ると普通云われている釣師が多く、本当の釣師とは呼べない釣師(ただの釣りをする人)が大勢居る事になる。格好だけの釣師、マナーにだらしない釣師など偽者の釣師が多い。

最近の釣り場には、尊敬出来る様な釣師は居なくなった。当然自分は釣師ではなく、いくら頑張っても玄人止まりと諦めている。最近の釣りの進歩は日進月歩で理屈と理論は理解出来ても、それをやって若い人たちに教える事が出来ない。だから他の釣り人に迷惑をかけずに自分が楽しむ昔ながらの釣に専念している。しかし割り込んで来たり、人の邪魔をする釣り人にはしっかりと苦情を云いながら・・・。